第27話「想いの果て(前編)」

 

 どういうことなんだ。なぜ、死んだはずの二人が?

 混乱に渦巻く思考の波がカリオンとレインを襲う。

 最初に考え付いたのは、何者かによる幻覚。しかし、目の前の二人の存在感は、明らかに幻ではない。確かに実体として、そこに存在している。そのような幻を作り出すことなど、果たして可能なのだろうか。

「先生……?」

 レインが目の前にいるイブリースに向かって呼びかける。

 すると、イブリースは、彼女の良く知る人懐っこい笑みを浮かべた。

「久しぶりだね、レイン」

 彼女の記憶にある、そのままの姿、態度。それが、ますますレインの思考を狂わせていく。今すぐ駆け寄りたい衝動と、本能的な危険を呼びかける理性が、彼女の中でせめぎ合っていた。

「カリオン……」

 今度は、イブリースの横に立つノアがカリオンに呼びかけてきた。

 カリオンは厳しい表情を崩さぬまま、何も答えない。

 幻だ。彼女は死んだ。自分の目の前で、確かに息を引き取った。その時の光景を、彼は今でも鮮明に思い出せる。彼女が―ノアが生きているはずがない。

「レイン、僕の手紙を読んで来てくれたんだね?」

 イブリースに問われ、レインの身体がこわばる。

答えてはいけない、と彼女の本能が告げていた。もし、答えてしまったら、自分はきっと理性を保てなくなってしまう……。

「君なら来てくれると思っていた。手紙に書いた通り、この遺跡を調べるために通行証を手に入れようとしていたんだね?」

 レインはぎゅっと両目を閉じた。まぶたが僅かに震える。

 もうやめて。これ以上、私に何も聞かせないで……。

「それなら、目的は同じだ。僕らが戦う必要はないよ。降参してくれ。その後、僕と一緒に……」

「それ以上、喋るんじゃねぇ」

 イブリースの言葉を、カリオンが強い口調で遮った。同時に、彼女の視界からイブリースを隠すように、二人の間に立つ。

「カリオン、どうして……?」

「そっちもだ」

 ノアの方にも鋭い視線を向け、気丈に言い放つ。だが、ノアの方は全く引かなかった。

「どうして? 私達が争う理由はどこにもないわ。そうでしょ?」

「喋るなと言っている」

「カリオン、私のこと、忘れちゃったの?」

「黙れ!!」

 悲しげな表情を浮かべるノアに向かって、必要以上に大きな声で怒鳴る。こうでもしないと、声の震えを隠す自信がなかった。

 忘れるわけがない。一日、一分、一秒だって、忘れたことはない。

 声も、表情も、カリオンを見つめるその瞳も。全て、一瞬たりとも忘れたことはない。

 全てが、記憶と何も変わらない。それは、レインの方も同じらしかった。

 なら、何が違うのだ?

 幻だったとしても、本物と寸分違わぬのであれば、それは、本物と同じではないのか?

 違う。本能がそう否定する。だが、その理由はよくわからなかった。

「もう一度言う。降参してくれ。僕達は、君達と争うことを望まない」

 イブリースが再度、カリオンとレインに告げる。

 だが、カリオンも、レインも、何も答えなかった。

「……わかった。なら、仕方ない」

 その沈黙を、彼は拒絶と受け取った。

 ローブの懐から杖を取り出し、短く呪文を唱える。すると、彼の左隣の地面に魔法陣が現れ、さらにその中から紅蓮の鎧に身を包んだ剣士が姿を現した。イブリースの召喚したレッドエレメンタルである。

 イブリースはすっと右手を前に出し、レッドエレメンタルに命じた。

「行け!」

 イブリースの身長に匹敵するほど大きなレッドエレメンタルが、真っ直ぐ二人に向かって突っ込んでくる。エレメンタルの大きさは、そのまま術者であるサマナーの力に比例するといって良い。これだけの大きさのエレメンタルを召喚できるということは、イブリースがそれ相応の実力を持ったサマナーであることは容易に想像できた。

 レッドエレメンタルの剣撃を、カリオンは正面から受け止める。ギィィィン、と鋭い音をたてて、互いの剣が交錯する。剣を握った手に力を込めるが、ぷるぷると震えるだけで、押し返すことが出来ない。力は全くの互角だった。

「レイン!」

 すぐ後ろにいるレインの名前を呼ぶ。その声に彼女は、はっとしたように顔を上げ、慌ててカリオンを援護するべく呪文を唱え始めた。だが、

「っ!?」

 唱え始めてすぐに、詠唱を中断する。そして、右足で地面を蹴り、横に飛び退いた。そのすぐ後に、彼女がいた場所目がけて二本のナイフが飛び、突き刺さる。

 カリオンがナイフの飛んできた方向に一瞬視線を移す。そこには、両手にナイフを構えたノアが立っていた。

「ちぃ……!!」

 レッドエレメンタルの剣を受け流すと一時後退し、少し離れていたレインのすぐ傍までやって来る。すると、レインは抱きつくようにカリオンの腕をとった。

「カリオン……」

 不安げな、救いを求めるような眼差しで、レインがカリオンを見上げる。

 カリオンはそんなレインに、かけるべき言葉が見つからなかった。

 幻だ。本物なら、自分達を攻撃するはずがない。そう言うのは簡単だった。

 だが、そんなことは、レインもわかっているはずだ。わかっていて、なお、彼女は悩んでいるのだ。

 彼女の苦しみは、よくわかった。カリオンも、同じ悩みを抱えていたからだ。

 降参は出来ない。なら、どうすべきか?

 答えはわかりきっている。わかりきっているからこそ、思うのだ。

 

 戦えるのか?

 

 一瞬の視線の絡み合いの中で、二人は同じ疑問を共有する。

そんな彼らの苦しみなど意に介さず、二人の敵は、非情な足音を響かせながら、ひたひたとこちらに迫って来ていた。

 

第27話 終